Tetsuhiro Tamada Tetsuhiro Tamada

ただ一点から昇る

2026年1月4日

初日の出は毎年、新大利根橋から土手に降りてしばらく歩き、塔を過ぎた所で見る事にしている。
朝日が利根川に反射し、鳥が舞い感動の瞬間だ。
雲の稜線が輝き、静かに、そして圧倒的な光を放ち、太陽は姿を現す。
雲が多く何箇所も淡く赤く光を放っていて出てこないのではないかと心揺らぐ時も、ピカーっとした閃光がまっすぐに空へ、そして地へと放射線上に走り、透明な円形の光の先端がその姿を現す。
ただ一点から昇る。
昔、研修医の時、回診で「では確定診断は何?」と問われた日を思い出す。
"確定診断"こそ真実の診療に導く唯一の道であるからだ。

患者さんが教えてくださった。
"坂の途中の病院"
なんて素敵なお言葉だろう。
「坂の上の雲」「ハウルの動く城」
みたいな。
年頭からすごくうれしい気持ちになった。


明けましておめでとうございます。
4月から診療時間を増やして診療に当たらせて頂く予定です。
本年が皆様にとって、御健康でお幸せな一年であられますよう、ほんの少しでもお手伝いできたらと願っております。

今年も頑張りましょう✨



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続きは、次のコーラスで

2025年12月28日

長い。長すぎるよ。ベートーヴェン。
12月7日、取手市民会館大ホール。
2025取手•守谷第九演奏会が行われた。
私の患者さん(Sさん)が出演されると言う。
御主人が50歳代で脳梗塞を発症されお体が御不自由になり、その後30年間介護をされてきた。
御主人は8ヶ月前に亡くなられたが悔いは全くないと言う。御主人もお幸せな最期だったろう。
今、庭で家庭菜園と子供の頃から続けているコーラスに没頭する事が一番の喜びとおっしゃる。
じっとしている時間がもったいないんだろうなと思える程アクティブだ。

その日どうしても午後3時半に用が入っており、午後2時開演だから1時間くらいは歌声を聞けるなと考えながら会場に入った。
佐藤雄一氏指揮による交響楽団の演奏から始まった。
美しい音色に酔ったが、いつまで経っても合唱が始まらない。
曲の山場を迎え、終わるかなと思い拍手しようと思うとまた静かな曲調に戻り、何回も繰り返す。
音楽の素養のない私には、悲しいかな、そうとしか聴こえなかった。
あっという間に3時10分前になり、ようやくコーラス隊が登場した。
前例3番目、白いブラウスに黒のロングスカートがお似合いのにこやかでキラキラとした表情のSさんを発見した。
だがまだ演奏は続く。
私は後ろ髪を引かれながらも、会場を後にするしかなかった。

翌日、Sさんが見えて、昨日はごめんなさい、と謝ったが、聞けばその後まだ演奏は続き、しかも合唱を含め演奏のすべてがベートーヴェンの第九だとの事。浅はかだった。
深い。長いけど深かったのだ。ベートーヴェン。
次回4月にまたコーラスがあるとの事で、この次は時間に余裕を持って、しっかりとSさんの美声のソプラノを聴きに行こうと決めた。

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心が灯るクリスマスイブ

2025年12月24日

今日はクリスマスイブ。
子供が小さい頃は1年の一大イベントで、イルミネーションなど、どこへでも見に行ったが、今やただ、たんたんと過ごしている。
先週の金曜日、あの美味しいお弁当を作ってくださる人気のレストラン ”ジェノ” に行き、クリスマスが近い事を実感させてくれる素敵な作品に出会った。


絵心があるなしは問題ではない。
あったかいのだ。
優しく、pureでお客様への精一杯の心配りが伝わってくる。まっすぐで無垢で、人の心に寄り添う献身のお人柄こそのものと思う。

そのスタンスは医療従事者にとっても同じだ。
私はいつも、自分だったら、自分の親だったらとその人の立場に立って考えて欲しいと話している。
「己の欲する所を人に施せ。欲せざる所を人に施すな。」究極の真理だと思っている。

クリスマスイブの今日、まだお店に可愛らしく飾られていて、なんだか幸せな気分になった。

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「いつも二人で」

2025年11月18日

私はオードリー • ヘップバーンが大好きだ。
彼女の映画「いつも二人で」でカフェで黙って座っている二人の年配の男女に対して、「あんな風に一言も交わさずに座っているのは誰だと思う?」という夫からの質問に「married people (夫婦)」とオードリーが答えるシーンがある。
確かに私の両親も、黙ってこたつに座っているのを確認した3時間後に戻って見ても同じ姿勢で黙って座っていた。これが「夫婦」なのだと納得した。

その患者さんはいつも遠く土浦から柏まで来院されていた。御主人はデイサービスに行かれており、歩くのが御不自由で介護されていると仰っていた。
守谷に移転し、初めて御主人も一緒にみえられた。
膝と腰の痛みがあるという。
歩行状態と他の神経症状から正常圧水頭症を疑った。
転びやすい、歩きにくい、トイレが近い、最近物忘れがある、という症状がみられたら年のせいではなく、正常圧水頭症である事が往々にしてある。
正常圧水頭症は治る病気である。
私はすぐに我孫子聖仁会病院の高木先生を御紹介した。素晴らしい先生で、今まで何十人にも及ぶ患者さんを御紹介させて頂き、助けてくださっている先生だ。私はいつも日本で5本の指に入る先生だよ、と話す。

術後一ヶ月して来院された。
介助なく、ニコニコと笑いながらスムーズに診察室に入ってこられ、診察ベッドにも一人で寝て、起きる事ができた。
目覚ましい改善に奥様は感激され、デイサービスのスタッフも驚いているという。
余りの改善ぶりに、杖を忘れて帰られたので、そう遠くはないので困っていらっしゃるだろうと思い届けに伺った。

大きな傘をさしながら、迎えに来てくださった奥様は何度も感謝の言葉を言ってくださり、その表情には心からの安堵と幸せが溢れていた。
夫婦お二人の生活で、きっといつもお二人で何時間もこたつに黙って座ってるだろうなと思う。

「愛」に勝る治療法はないと私は思う。
どんな薬も治療も、共に悩み、喜び支える愛があってこそ何倍もの威力を発揮すると私は確信している。

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一歩一歩の奇跡 — 柏から届いた希望の足音

2025年10月8日

開院して4か月、柏から来院くださる多くの患者さんに感動し、エネルギーを頂いている。感激である。

6月23日ドアが開き、汗びっしょりで姿を見せたのは柏からの女性の患者さんだった。
クリニック移転前のある日、その方の「私にも行けるでしょうか?」という問いに対し、柏の私のクリニックの女性スタッフが「無理でしょう。」と即座に返したその患者さんだ。
70歳代の女性で一昨年7月22日、第3から第6頚椎レベルでのヘルニアと狭窄があり、転倒を機に歩行が困難となり来院された。
一時的な外傷機転で神経症状が増悪したものと考え治療とリハビリを行った。
その際、出来る限り毎日のように来た方がいいですよ、と話した。
毎日歩いて通う事自体がリハビリであり、信じて黙々と通う事が改善につながると考えているからだ。
お話好きで多少話が長くなってしまうこともある方である。柏では本当に毎日のように真面目にリハビリに通われたが、守谷へのクリニック移転後は駅から普通に歩いて15分はかかる事から私も無理だろうと思っていた。

ところが汗だくで目を輝かせて入ってきたのはその患者さんだった。
聞けば迷って遠回りして歩いていたが、途中で親切な若い女性に地図をお見せしたらここまで案内してくださったと言う。
その若い女性も何て素敵な方だろうと思ったが、ニコニコしながらキラキラして話す患者さんに目が覚める思いがした。
「疲れた」とは言わなかった。「ちょっと時間はかかったけど、普通に歩けました。」とおっしゃった。下肢に痙性があり、かなり大変だったはずだ。苦になさっている様子は微塵も感じなかった。初めて来院されてから、確かに握力はアップし後ろ手でエプロンのリボンが結べ、髪の毛も結えるようになり、膝の屈曲が可能になり下肢の柔軟性もやや改善してきてはいた。
延々とここまでの道すがらを語られる患者さん。驚きと感動で心が一杯で、いつもと違って少しも長く感じられなかった。

信じて信じて信じ抜き、黙々と前に進む事。
それが回復につながる。
それが道を開き、生きるエネルギーになる。私はそう確信している。

柏から通い続けてくださる患者さんたちの信頼に心から感謝し、新しいクリニックの励みとしていきたい。

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守谷でのクリニック開院に至ったきっかけ

すべてはアイデアから始まります⁠。

2025年6月8日

2025年6月、20年以上院長として務めていた千葉県のクリニックから半分移転のような形で守谷に晩成クリニックを開院いたしました。移転を決意したきっかけをコラムという形でご紹介させていただきたいと思います。

一昨年4月、生保の患者さんが千葉県の県立柏陵高校の用務員として就職できたのにクビになったと本人から聞きました。その学校の学校健診を担当していたものですから、詳細を聞こうと教頭と女性事務長に問い詰めた時のことでした。知らぬ存ぜぬの冷たい、教育者とは思えぬ非人間的な態度に生まれて初めて打ちのめされてその場で倒れ、おおたかの森病院で緊急手術を受けGod Handで救われました。彼らから大丈夫ですかの一言もなく、人が信じられなくなっていた時、退院し守谷市の自宅に帰った際に、「しばらくお会いしませんでしたが、どうしていたんですか?」と声をかけてくださったのが同じマンションの隣のお部屋に住む若い奥様でした。私は感激しました。それから毎日朝と晩に近くをリハビリのため歩き始めた時、「おはようございます」と御挨拶頂いたのが犬の散歩をされている奥様でした。

実は2011年1月に守谷市松ヶ丘の土地を購入した時から千葉からの移転を考えていたのですが、3月11日の東日本大震災後ずっと先延ばしにしていました。新たなスタートを決断させてくださったのがこの街に住まれ、明るく前向きに生きておられる方々でした。

クリニック建設中に大工さんにお弁当の差し入れをさせて頂いていましたが、大工さんたちが喜んで楽しみにされている美味しい心のこもったお弁当を作ってくださったレストランテ・ジェノの石井シェフ、どんな時間でも暖かく対応してくださる北村さん、いい人達だなあと思います。また、ひょんなきっかけから私にエネファームを紹介してくださる事になった東部ガス守谷営業所の若きエース長瀬くん、白野くん。すばらしいシステムをありがとう。

私はいつも最期の時を微笑みで迎えられることが最高の幸せであると思っています。そして少しでもお力になる事が医師の役目だと考えています。

私に力をくださった守谷の皆さん、また癒しの地であるこの茨城県で新しい出発ができることを幸せに思っています。



*クリニックの名前に関しましては両親が大器晩成という言葉が好きで母が晩成堂の店名で文房具店を開いたことに由来しています。以前院長をしていた千葉県のクリニックでもその名前にしようと思ったのですが、立ち上げの時業者の方たちの「玉田クリ二ックでいきましょう、玉田クリニックで」、の言葉に流されてしまい後悔したためです。

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