Tetsuhiro Tamada Tetsuhiro Tamada

守谷でのクリニック開院に至ったきっかけ

すべてはアイデアから始まります⁠。

2025年6月8日

晩成クリニック院長の玉田文子です。2025年6月、20年以上院長として務めていた千葉県のクリニックから半分移転のような形で守谷に晩成クリニックを開院いたしました。移転を決意したきっかけをコラムという形でご紹介させていただきたいと思います。

一昨年4月、生保の患者さんが千葉県の県立柏陵高校の用務員として就職できたのにクビになったと本人から聞きました。その学校の学校健診を担当していたものですから、詳細を聞こうと教頭と女性事務長に問い詰めた時のことでした。知らぬ存ぜぬの冷たい、教育者とは思えぬ非人間的な態度に生まれて初めて打ちのめされてその場で倒れ、おおたかの森病院で緊急手術を受けGod Handで救われました。彼らから大丈夫ですかの一言もなく、人が信じられなくなっていた時、退院し守谷市の自宅に帰った際に、「しばらくお会いしませんでしたが、どうしていたんですか?」と声をかけてくださったのが同じマンションの隣のお部屋に住む若い奥様でした。私は感激しました。それから毎日朝と晩に近くをリハビリのため歩き始めた時、「おはようございます」と御挨拶頂いたのが犬の散歩をされている奥様でした。

実は2011年1月に守谷市松ヶ丘の土地を購入した時から千葉からの移転を考えていたのですが、3月11日の東日本大震災後ずっと先延ばしにしていました。新たなスタートを決断させてくださったのがこの街に住まれ、明るく前向きに生きておられる方々でした。

クリニック建設中に大工さんにお弁当の差し入れをさせて頂いていましたが、大工さんたちが喜んで楽しみにされている美味しい心のこもったお弁当を作ってくださったレストランテ・ジェノの石井シェフ、どんな時間でも暖かく対応してくださる北村さん、いい人達だなあと思います。また、ひょんなきっかけから私にエネファームを紹介してくださる事になった東部ガス守谷営業所の若きエース長瀬くん、白野くん。すばらしいシステムをありがとう。

私はいつも最期の時を微笑みで迎えられることが最高の幸せであると思っています。そして少しでもお力になる事が医師の役目だと考えています。

私に力をくださった守谷の皆さん、また癒しの地であるこの茨城県で新しい出発ができることを幸せに思っています。



*クリニックの名前に関しましては両親が大器晩成という言葉が好きで母が晩成堂の店名で文房具店を開いたことに由来しています。以前院長をしていた千葉県のクリニックでもその名前にしようと思ったのですが、立ち上げの時業者の方たちの「玉田クリ二ックでいきましょう、玉田クリニックで」、の言葉に流されてしまい後悔したためです。

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